無理しないユルさで、優しくなれる。
ベジタリアン、ヴィーガン、パートタイムヴィーガン…etc。特に「ヴィーガン」のライフスタイルに興味はあるけど、実際には自分の生活とは遠すぎると感じていませんか。言葉や考え方にとらわれず、選択肢は多い方がいいですよね!
ライターのyukikoさんの食スタイルは、ヴィーガンをベースにした「フレキシタリアン」。芯があるけど自由で、しなやかな暮らしを送る彼女の“リアル”を、前編・後編の2回に分けてお届けします。
ひょんなきっかけでヴィーガンと出会った私は、体調や心境に大きな変化を経験しました。(前編参照)「このままヴィーガンのライフスタイルを極めたい!」そんな強い意識さえ芽生えていました。しかし、前編でお伝えしたように、現在は、植物性を主軸にしつつ、場合によって肉や魚などの動物性のものも食べる「フレキシタリアン」というスタイルです。そこで後編となる今回は、なぜヴィーガンからフレキシタリアンへと移行したのかをお話しします。
「善」な選択で見えてきた幸福のありか
私の全ての人間関係が、ヴィーガンで繋がっているわけではありません。友人や家族のほとんどが、ヴィーガンではありません。例えば、そんな彼らと一緒に食事をする場合、完全ヴィーガンだった当時は、私だけ植物性の食事を選ぶこともありました。何なら、バーベキューで私だけ野菜のグリルを食べていたこともありました(笑)
でも、やってみた結果、「なんか違うかも」が私の答えです。ヴィーガンである自分にとっての最善の選択だったはずですが、必ずしも幸福な選択というわけではなかったのです。私の場合は。
「同じ釜の飯を食う」という言葉があります。同じ食事を、大切な人たちと一緒に「おいしいね」と分かち合えることが、こんなにありがたくて幸せなことなのかと、失って初めて身に染みたのですね。
食事は楽しいもの、分かち合うもの
ヴィーガンのスタイルはだいたい5割くらいだと思います。本気でヴィーガンに取り組んでいる人からしたら、ヴィーガンと言うことも憚れるくらいですが、「ヴィーガンの単位は1アクション」でいいのです!
結果としてフレキシタリアンの暮らしは、私にはとても心地が良い。それは、物事のバックグラウンド に思いを馳せるヴィーガンの自分と、食そのものを味わったり、大切な人と分かち合ったりするヴィーガンではない自分、両方の視点を優劣つけずに体験できているからなのかな、と思っています。
もちろんこれから先、あらゆる変化を体験するはずです。そんな道のりの中、フレキシタリアンという選択ができている今が、愛しいのです。とっても。
フレキシタリアンの人並みな食事
せっかくなので、ユルく心地のよい私のフレキシタリアンとしての食事も見ていってくれたらうれしいです。
より自由になるために、矛盾を愛する
動物にも自然にも、そして人にもヴィーガンやフレキシタリアンの生活。それは同時に、矛盾を楽しむ心の余裕をも育ててくれたように思います。物事の背景に光を当てるヴィーガンの私と、寛容に受け止めるフレキシタリアンの私と、より高く、遠くまで飛ぶことができています。
世界は、レイヤーのように折り重なっています。もしあなたがまだ、ヴィーガンやフレキシタリアンを未体験であるならば、とにかくまずは1アクションからでも試してみるのがおすすめです。以前は見えていなかった層をくっきりと映し出してくれるかもしれません。
優しくて、おいしくて、より鮮やかなこの世界のありようを。
yukiko (ライター / コラム二スト )
出版社での編集経験や会社員を経て、ライター / コラムニストとして独立。フランス関連、エンタメやカルチャーなど幅広く執筆する傍ら、フレキシタリアンとしてヴィーガンを食生活に取り入れている。特に日本古来の発酵文化に強い関心がある。が、一度味噌づくりに失敗した経験あり。
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前編はこちら:ヴィーガンを実践してみたライターのリアルな話。【前編】
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